Contemporary Photography Projects

まなざしのトレース / Tracing the Gaze, 2025

視線の再演、あるいは愛の考古学
「写真は過去を証明するが、記憶を再現はしない」というテーゼに対し、佐藤泰輔の「まなざしのトレース」は、身体的な「再演(リエナクトメント)」という極めて独創的な手法で反論を試みている。
本作の核心は、古い家族写真に写る「かつての自分」を見るのではなく、そのカメラの背後にいた「母親の眼差し」そのものを、自身の肉体をもってハッキングしようとする点にある。佐藤は、かつてシャッターが切られたその場所へ赴き、三脚を据え、当時の母親の視点の高さをミリ単位で模索する。そこで彼が発見したのは、腰を落とし、あるいは膝をつき、祈るような低さから息子を凝視していた母親の、あまりにも能動的で献身的な「物理的視線」であった。
この試みは、単なるノスタルジーの枠を軽々と飛び越える。かつて母親が見ていた光景と、現在彼がファインダー越しに見る光景が重なった瞬間、時間は直線的な流れを失い、垂直に交錯する。そこでは、記録としての「写真」が、血の通った「経験」へと変質しているのだ。佐藤の網膜に映るのは、単なる風景ではなく、かつて自分に向けられていた無償の慈しみという名の、目に見えない光の粒子である。
表現手法としても、本作は「KOUFUKURON」で見せた冷徹な建築的構図とは対照的に、より湿り気を帯びた、触覚的な深度を持っている。過去のプリントと現在のデジタルイメージを重ね合わせるプロセスは、自己のアイデンティティを形成する地層を掘り起こす考古学的な作業に他ならない。
「まなざしのトレース」は、私たちが誰しも「かつて誰かに見守られていた存在である」という根源的な事実を、視覚を通じて再定義する。それは、自己愛の檻に閉じ込められがちな現代において、他者のまなざしを自身の身体に憑依させることで、孤独を癒し、生の根拠を再確認しようとする、静かだが力強い「愛の儀式」なのである。

コウフクロン / KOUFUKURON - Eudaemonics

視覚的再構築による「生」の調律
佐藤泰輔の「KOUFUKURON - Eudaemonics」は、現代日本が抱える静かな窒息感——長時間労働、孤独、そして同調圧力という名の不可視の檻——に対し、写真という「視覚のメス」を用いて挑んだ、極めて臨床的な試みである。
本作の特筆すべき点は、ストリートという動的な場を扱いながら、あえて「建築写真」のイディオムを導入した点にある。通常、路上に蠢く孤独を捉える際、写真家は被写体との距離を詰め、その情念を掬い上げようとする。しかし、佐藤は極めて冷徹な垂直・水平の規律の中に光景を封じ込める。この「視覚的な抑制」は、被写体への同情を拒むためではなく、むしろ鑑賞者の過剰な自意識を脱臼させ、事象を客観化するための装置として機能している。
ここで提示される「幸福(Eudaemonics)」とは、消費文化が謳う快楽主義的な満足ではない。それは、アリストテレスが説いた「魂の善き活動」に近く、また佐藤が依拠する認知行動療法的なアプローチによって導かれる「認識の変容」そのものである。
佐藤のレンズが捉える街の断片は、一見すると無機質で、日本の都市特有の空虚さを孕んでいる。しかし、その厳密な構図によって世界が「再配置」されたとき、鑑賞者は気づかされる。苦悩の源泉であったはずの単調な日常は、視点の角度をわずかに変えるだけで、「無常」の美学へと転化しうることを。
これは、かつて企業人として社会の歯車の中に身を置いた佐藤自身が、写真という行為を通じて獲得した「生存戦略としての芸術」である。カメラを向けることで、世界との間に「治療的な間隙」を作り出す。その行為が結実した本作は、単なるドキュメンタリーを超え、孤独を抱える現代人へ向けた「視覚による救済の書」として、静謐な説得力を放っている。

路上ライフ・スタイル / Street Life Style

透明な境界線の消失——佐藤泰輔「路上ライフ・スタイル」における実存的転回
佐藤泰輔の「路上ライフ・スタイル」は、一見すると日本の都市空間における周縁部——名古屋市の高架下に生きるホームレスの人々——を捉えた伝統的なドキュメンタリー写真の系譜に連なるように見える。しかし、本作を単なる「社会的弱者への眼差し」として片付けることは、作家が仕掛けた深い実存的問いを見落とすことになる。
本作の核心は、作家自身のアイデンティティの喪失体験という極めて個人的な痛みと、被写体たちが置かれた物理的な家の喪失という社会的事実が、レンズを通して等価に結びついている点にある。佐藤は、かつて自身を苦しめた「ハウス(物理的住居)はあるがホーム(心の安らぎ)がない」という虚無感を、路上生活者たちが体現する「ハウスはないがホーム(コミュニティや自由)はある」という逆説的な充足感にぶつけている。ここでカメラは、記録の道具ではなく、自己と他者を繋ぎ直すための「媒介」へと変貌している。
そしてこの手法は、徹底した関与型ドキュメンタリーである。2年間にわたり被写体と飲食を共にし、信頼を築き上げるプロセスは、被写体を「社会問題の記号」として消費することを拒絶する。そこには、対象を冷徹に観察する視線ではなく、相手の呼吸に自身のシャッターを同調させるような、倫理的かつ親密な距離感がある。この「主観的関与」こそが、IMA Portrait Of Japan や Tokyo Foto Awards での選出といった国際的な評価を支えるアートとしての強度を生んでいる。
また、哲学的な背景(ショーペンハウアー等の影響)に基づき、刹那的な生を「無常」として捉える視座は、現代の加速する消費社会に対する静かな批評でもある。路上に積み上げられた生活の断片は、単なる廃棄物の集積ではなく、所有という概念から解放された「物の哀れ」を体現する。
結論として、佐藤泰輔の「路上ライフ・スタイル」は、都市の「外部」を写し出すことで、実は「内部」にいる我々自身の内なる孤独と、真の安息の場所とは何かを照射する、現代における鏡像のポートレートである。
Alternative Photography

Cyanotype

Mordançage

Gum Bichromate

Salt type

KOUFUKURON - Eudaemonics
Taisuke Sato 

€42.00

1. Edition 4/2023
Texts by Taisuke Sato

Edit by Mauro D'Agathi
Book design by 89books

56 pages
31,5 x 22,5 cm
36 color photographs
Soft cover
1 20x30 cm signed color print included
Digital print

ISBN 979-12-80423-34-4