多賀 太(男性学研究者/関西大学教授)

 2024年の7月、見知らぬ写真家から私宛てに一通のメールが届いた。私の「男性学」研究の成果を思考の柱の一つとしてセルフ・ドキュメンタリー作品を制作中であるとのこと。出版が決まったら寄稿文を執筆してもらえないかという依頼だった。メールにはドラフト段階の写真集と自叙伝のテキストが添付されていた。
 写真集を一通り眺め、自叙伝を読み始めるやいなや、私はそれらの写真とテキストが織りなす世界に没入していった。写真家の立場に自分を置き換え、彼の人生を追体験していくうちに、見知らぬ写真家の人生が、あたかも自分が実際に体験してきた人生であるかのような感覚を覚えた。テキストを読み終わり、もう一度写真集を見返した。そしてふと思った。「私の人生も、こうなりえたかもしれない」と。
 奇遇にも、私は佐藤泰輔さんと同学年だ。私は大学3年のとき、企業に就職するか大学院に進学して研究者を目指すか、迷いに迷った末に大学院進学を決心した。そしてたまたま、男性のあり方を問い直す「男性学」という学問に出会い、それが専門になった。もし私があのとき企業就職を選んでいたら、私は、時代に期待される理想の男性像を過剰なまでに受け入れて猛烈に働き、そして途中で燃え尽きていたのではないか。今でもそんな気がしてならない。
 私たちが大学生だった1980年代末、日本はいまだバブル景気に湧いており、1989年には栄養ドリンクCMソングの歌詞の一節「24時間戦えますか」(「ビジネスマ~ン、ビジネスマ~ン、ジャパニーズ・ビジネスマ~ン」と続く)が流行語になった。当時の最も理想的な男のあり方は、紛れもなく、大企業のビジネスマンになることだった。長時間労働を厭わず、あらゆる困難を耐え抜いて業績を上げ、出世競争を勝ち上がり、より高い収入を得て、経済的に豊かな生活を家族に保障する。女性を含めた多くの人々が、当時これを「勝ち組」男性の生き方と信じて疑わなかった。
 しかし、そうした勝ち組男性の人生にも、多くの代償が伴う。職務上の地位と役割に基づく狭くて浅い人間関係に囲い込まれ、一旦乗ってしまった競争から降りようにも降りられず、競争からの脱落に怯えながら弱音すら吐けない。家族との親密な関係を築くこともままならず、心身の健康が蝕まれていく人も少なくない。
 シモーヌ・ド・ボーボワールが、著書『第二の性』(1949)で「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と記したように、男性もまた、周囲が求める男のあり方を学び、演じ、そのような男になっていく。男性学とは、そうして社会的につくられていく男性のあり方と、男性をそのように作り上げる社会のあり方を、男性自身が批判的に問い直す、自己省察の学問である。時代が求める男性像を信じて突き進んだ末に危機的状況に陥った男性が、心身の健康を取り戻して人生を再出発していくうえで、こうした自己省察が鍵となる。同時に、そうした男性たちの自己省察は、長い目で見れば、女性と男性それぞれに異なる形で不自由な人生行路を強いてきた日本の企業社会の仕組みを変えていくきっかけにもなりうる。
 そうした意味で、『ファミリーアルバム』の最大の特徴の一つは、日本の写真集としてはおそらく最初の、本格的な男性学のパースペクティブに基づく作品であるという点だ。私自身はこれまで、男性学の成果を学術論文や啓発書の形で発表してきたが、場合によっては、文学作品や芸術作品の方が、より広い層の人々に向けてより効果的に男性学のエッセンスを伝えられるのではないかと考えてきた。本作品に出会ったとき、私は自分の考えが間違っていなかったことを確信した。『ファミリーアルバム』は、平成不況前夜にビジネスマンとなった一人の男性の人生のリアリティと、彼をそのように作り上げてきた日本社会の光と影を、優れた男性学の学術書に勝るとも劣らず鮮明に、そして多面的に描き出した傑作である。
 佐藤さんから本作品の企画を知らされ寄稿文を依頼されたとき、私はとても嬉しく、この上なく名誉なことだと思い、二つ返事で迷うことなく執筆を承諾した。ところが、いざ書き始めてみると、予想外に苦戦した。筆が進まないのではなく、筆が暴走して止まらなくなってしまうのだ。あまりに多くのインスピレーションが次々と湧いてきて、書きたいことがありすぎて、一向に考えがまとまらない。それほどまでに、この作品には、男性学的なテーマに限らず、実に様々なエッセンスが豊富にちりばめられている。
 本作品にこれ以上の注釈をつけるのは野暮だろう。特定の視点から説明をすればするほど、本作品に潜在するテーマやメッセージの多面性とその奥深さを損ねてしまう。写真家の手によって編まれた家族アルバムと、それを頼りに再構成された彼自身のライフストーリーが、鑑賞者に対して、どこか控えめでありながらも強烈に何かを語りかけてくる。何の解説もなくても、鑑賞者は、各人各様に、感情を大きく揺さぶられ、これまで薄々感じながらも明確には認識できなかった何か大切なことに気づかされる。それこそが、写真集『ファミリーアルバム』の最大の魅力なのだから。
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