やさしいひかり (2021)
Tender Light
 Finland
   2020年2月、私は写真作家への道を歩み始めました。 
 その時は、自分の写真の方向性も全く見えていなかったのですが、「写真を勉強するならアメリカだよ」という アドバイスに従って、半年間アメリカとヨーロッパで修行をする計画を立てていました。ビザの関係でアメリカは3ヶ月の滞在に なりますので、残り3ヶ月は北欧と他のヨーロッパを巡ることだけ決めて、無計画にまずフィンランドに行きました。 ヨーロッパもアメリカもハブ空港としてフィンランドのヘルシンキを経由するからです。また、住宅会社に勤めて いたこともあり、住宅の構造材で使っていたフィンランドの木材や、シンプルなインテリア、そして水色やピンクの淡い色を使うデザインなどの面で、フィンランドはもともと身近に関心を持っていたのです。
 3月1日にフィンランドに発ち、首都ヘルシンキから、オーロラの見れる北極圏のサーリセルカというところまで行きました。そこでは多くの写真を撮りましたが、北極圏は過酷です。気温はマイナス21度、三脚やレンズなども凍って壊してしまいました。2週間そこに滞在し、トナカイと戯れ、サウナを楽しみました。雪や雲が多い日が続いていたのですが、ついに夢だったオーロラを見た夜が忘れられません。 
 その後首都まで南下するためにバスと鉄道を乗り換えてヘルシンキへ向かいました。フィンランドの国の半分は 深い雪のために鉄道がないのです。サンタの住むロヴァニエミ、そして北極圏を後にしてオウルという街に数日滞在しました。そこに来るまで世間の情報に接していなかった私は、アメリカが全ての外国人の入国を禁止したことを知ります。 ヘルシンキに着いてからはコロナウィルスの各国の情報が日増しに入るようになりました。その時はフィンランドの国全体でまだ患者が数人しかいなかったこともあり、あまり深刻に考えていなかったのですが、イタリアやフランスが大変なことになっていました。また数日後にはヨーロッパの全ての国が入国を制限するようになりました。そのため、私はできる限りフィンランドに残り、デザインの勉強をしようと考えました。
 ヘルシンキのイラストレーターのアトリエを訪ねました。彼は日本の愛媛で予定されていた展示会が中止になったと嘆いていました。そして、 今丁度「謎のアマチュア写真家・ヴィヴィアン ・マイヤー」の写真展がフィンランド写真美術館で開催されていることを教えてくれて、翌日 それを見に行きました。彼女の詳しいことは省略しますが、私は彼女にとても影響を受けました。
​​​​ まだしばらくヘルシンキにいるつもりで、知り合いの息子さんが操縦する飛行機から空撮したり、毎日呑気に 撮影をしながら、雪が溶け、だんだん春めいてくることを楽しんでいましたが、滞在しているホテルは日増しに客が減り、ついには私一人になりました。そしてある日、明日からホテルを休業したいので別のところに移って欲しいという話になり、近くの貸しアパートに移りました。その1週間後、ヘルシンキがロックダウンされることを知り、これ以上滞在できないことを確信したので日本に帰ることにしました。
 帰りの飛行機も便が少なかったのですが、 パリを経由する便があったので、約1ヶ月のフィンランド滞在で私の最初の旅を終了し、日本へ帰国しました。 パリの空港も混乱しており、預けた私の荷物は2週間ほどどこかに行ってしまいました。 
 そして日本ではその前日から始まった検疫と隔離のため、成田で14日間、部屋のドアの前に配られるお弁当だけを 楽しみに、そしてヘルシンキの古書店で買った2冊のムーミンのフィンランド語の初版を読みながら(と言っても 字は読めないのですが)我慢の日々を過ごしました。
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 さて、本題ですが、この小さな写真集に「やさしいひかり」というタイトルをつけました。 一日中太陽が昇らない極夜の時期を経て、この3月は朝から夜7時頃まで太陽はとても低い位置を移動し続けます。 ずっと夕方のような感じです。それは春の訪れにぴったりの、とてもソフトで柔らかい光でした。
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